自民のさらなる保守路線「違和感」と石破氏は語っていましたが、結党経緯を見れば、自民の原点は保守です

自民党は11月15日で結党70年となります。

戦後の日本の政治を引っ張ってきた自民党ですが、長い歴史の中にも下野するなどがありましたが、長い歴史のなかでも、石破茂氏が「戦後最悪の総裁」であるという評価は少なくありませんでした。

それは、石破政権が左傾化したからにほかなりません。

言うまでもありませんが、自民党の出発は保守です。前政権で左傾化した自民党を高市政権は元に戻そうとしているのです。

それでは、自民党の結成経緯から、保守である所以を見てみましょう。

左派の台頭を危惧した保守大同団結

1945年8月15日に終戦を迎えました。

終戦後の十年間は、内外ともに苦難と激動と独立体制の基礎固めの時代であり、政界もまた、自由民主陣営、革新陣営を問わず大きく動揺を続けました。

自民党の『自由民主党結成』には『そのような環境の中で、国民も政治家も、実に多くのことを体験し、学びました。そして、やがてその貴重な体験と反省の中から、わが国が真に議会制民主政治を確立して、政局を安定させ、経済の飛躍的発展と福祉国家の建設をはかるためには、自由民主主義勢力が大同団結し、一方、社会党も一本となって現実的な社会党に脱皮し、二大政党による健全な議会政治の発展をはかる以外にない、という強い要望が国民の間にも、政治家の間にも芽生えてきたのでした』と記されています。社会党の台頭を危惧した保守勢力が大同団結し、自民党結成に進みました。

そして、1955年11月、自由党と日本民主党の保守政党が合流し自由民主党を結成となりました。

自民党の平成22年(2010年) 綱領には『我が党は常に進歩を目指す保守政党である』とあり、保守こそが自民党の原点なのです。しかし、石破氏は、高市総裁誕生と維新の連立入りを巡り「自民党政治がいわゆる保守の路線へさらに傾くことにすごく違和感がある」と語っていました。

石破政権で自民党が左傾化してしまった証左です。しかし、自民の左傾化は岸田政権後期から始まっていました。そのゆがみを正すべく、高市政権は誕生したのです。

高市政権の期待はそのまま支持率に繋がり、脅威の支持率をたたき出しました。まさに保守政権を国民が望んでいるからです。

 

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