
立憲と公明はなぜ今まで組まなかったのか。公明党と野党との歴史
これまで敵対関係にあったとされた公明党と立憲民主党ですが、なぜ今まで組ことが出来なかったのでしょうか。
過去の両党の関係を振り返ってみましょう。
これまでの公明党と野党の関係を振り返る
公明党と野党(特に日本共産党や旧民主党系)の確執は、日本の政治史において根深く、かつ変化に富んでいます。公明党と共産党は、組織力で競い合う「ライバル」であり、宗教観や政治理念の面で激しい確執があります。
・言論弾圧事件(1969年〜): 公明党(創価学会)による書籍出版阻止を共産党などが厳しく批判したことで決定的な溝が生まれました。言論弾圧事件では、当時の自民党が公明党を庇ったと言われています。
・「野合」批判: 公明党は、理念の異なる立憲民主党と共産党の連携を「野合(利益のために不当に結びつくこと)」と一貫して批判してきました。
・2026年の再編: 最新の動向では、公明党と立憲民主党の一部が合流して中道改革連合を結成した際も、共産党は「公明の政策を丸のみした」と猛反発し、選挙協力を拒否しています。
1970年代前半、自民党が過半数割れギリギリの劣勢に追い込まれました。自民党の長期政権(「55年体制」)に対抗し、日本社会党、公明党、民社党などが連携して政権交代を目指した「中道革新連合政権構想」の動きがありました。特に民社党や公明党が掲げた現実的な政策に基づく中道路線と、革新勢力の融合が試みられましたが、党間政策の隔たりで実現しませんでした。
1990年代後半から2010年代にかけて、二大政党制を目指す旧民主党との間でも激しい確執が生じました。
・自公連立(1999年〜)への批判: 民主党は、公明党が自民党と組んだことを「権力の亡者」などと批判し、激しく攻撃しました。
・政権交代(2009年): 民主党が政権を取った際、公明党は野党に転落。この時期、自公は野党として民主党政権を徹底的に追及しました。
特に24年10月19日に公明党サイトに掲載された「“悪夢の旧民主党政権 再来許すな”」の見出し記事では、「今回の衆院選で、敵失に乗じる立憲民主党」などと、立民を名指しで批判していました。
こういった事から公明党は完全に与党の一員として立民とは敵対関係にありました。
しかし、長年の「自公連携」に終止符が打たれ、野党間の関係性が再構築されています。自公連立の解消(2025年10月): 政治資金問題などをめぐり、自民党と公明党の連立が26年ぶりに解消されました。2026年1月には、公明党が立憲民主党と合流し、新党「中道改革連合」を結成。これにより、かつて対立していた旧民主党勢力の一部とは「確執」から「合流」へと劇的な転換を遂げました。
しかし、両党は安保、原発、改憲、沖縄問題といった重要な政策に溝が残ったままでした。。合流を機に、立民側の議員が表面上従っているのではないだろうかという指摘もあります。かつての「中道革新連合政権構想」は、党間政策の隔たりで実現しませんでした。安保などの重要政策に溝が残ったままでは長続きしないのではないでしょうか。
