任命拒否の松宮孝明教授、「たぬき教授」という謎の名前で別人になってブログを運営。そして、刑法の題材に安倍前政権を多用していた過去!学者のふりをしていた活動家!
日本学術会議の新規会員になれなかった6人の教授のうちの1人、立命館大学法科大学院教授の松宮孝明教授。松宮教授は、任命されなかった他の5人と学者と比較してみても、積極的にマスコミ等に出演し、菅政権への批判を展開しています。
言動からして、学者というよりも、活動家のように思える松宮教授ですが、実際に学者なのかと大きな疑問を持たざるを得ないことがあります。そして情報通りならこんな人物が教育の教壇に立っているとは本当に恐ろしいことです。
それが、松宮教授のブログです。そのブログでは、「松宮教授」という自己紹介はされていません。「たぬき教授」と記されています。
しかし、よくよく見てみると、たぬき教授は、十中八九、松宮教授であることがわかりました。
「たぬき教授」と別名を名乗り、ブログを書くこと自体が、学者の資質に疑問を抱かせますが、なによりもブログの内容が、学者というよりも、政権批判をしたい左派と見間違える内容なのです。
謎の「たぬき教授」ブログ
「たぬき教授」のブログでは、プロフィールが、次のように書かれています。「立命館大学法科大学院で刑法を教えている。たぬき会(OB会)のボスたぬき。」(参考)。
たぬき教授の最新のブログは、「学術会議会員任命拒否事件」というタイトルで、2020年9月29日に投稿されています。
このブログの内容を見てみると、次のようになっています。
知り合いの教授から、以下の投稿をいただいた。
「日本学術会議では、『会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。』(日本学術会議法7条2項)とされている。
(略)
先ほど、学術会議の事務局から電話があり、私は『会員の候補者』として『内閣総理大臣に推薦』されたのだけれども、なぜか『内閣総理大臣が任命する』会員の名簿に掲載されていなかったとのこと。
(略)
学者として『優れた研究又は業績がある科学者』と認められたことは名誉なことだと思っていたが、内閣総理大臣から任命を名指して外されるほどの科学者だとは知らなかった。これほどの名誉があろうか( ´∀` )。」
(略)
引用元 学術会議会員任命拒否事件
知り合いの教授からという書き出しで始まったブログ。知り合いの教授とは、容易に松宮教授だと推測がつきます。なぜなら、皮肉めいた発言を松宮教授も同様に行っているのです。
この最新の投稿は、「author たぬき教授」と明記されています。
2010年に投稿したブログを見てみると、「たぬき教授」=松宮教授ということが明らかになるのです。
「たぬき教授」=松宮教授であることが判明!!!
なぞに包まれた「たぬき」教授。立命館大学法科大学院で刑法を教えていることしかプロフィールではわかりません。立命館大学法科大学院には、刑法・刑事法は、実務家教員を含めて4人の教授が所属しています。
「たぬき教授」のブログの中に、注目すべき投稿がありました。それが同窓会です。「たぬき教授」と松宮教授は、なんと奇妙なことに同じ高校出身、そして数えてみると期数も同じです。
立命館大学法科大学院に所属し、刑法を教え、高校も同じ。「たぬき教授」=松宮教授なのです。
任命されなかったとはいえ、日本学術会議の会員に推薦されるほどの学者が、ブログで「たぬき教授」と名乗っているとは正直、衝撃を受けました。
以下では、「たぬき教授」=松宮教授という認識で話を進めたいと思います。
刑法の事例が政権批判含み!!
松宮教授は、マスコミ等での発言を見る限り、反政府系統の学者のようです。学問と政治は、一定の距離感を保つべきです、特に、人文・社会科学系ならば、尚更です。
松宮教授は、今回の任命されなかった件を契機に、反政府に傾倒したのかと思いましたが、以前からのようです。
今、ある刑罰論と犯罪体系に関する論文を読んでいます。それを読みつつ、ふと連想したのは、権力者のお友達だったら捜査機関も動かず刑罰権の発動が放置されるという、現政権下で起きたいくつかの事件です。それが社会によってなぜ有害かを、この論文の一部を引用して考えてみましょう。
(略)
学生に対して、わかりやすく学問を教えることは、学者の責務だと思います。しかし、題材として、政府を持ち出すことは適当なこととは言えません。政治と学問は、一定の距離感を保つべきです。
上記の投稿だけではありません。「文書変造罪について」と題する投稿では、冒頭箇所が次の通りです。
森友事件に関連して、財務省による有印公文書の改ざんが問題になっていますね。本日は、これが「文書変造罪」に当たるか、という問題を考えましょう。
(略)
引用元 文書変造罪について
もちろん、全てが政治的な事柄を題材に選んでいるわけではありません。
しかし、題材として適当なのかという疑問は残ります。
なぜ、時の政府を事例として取り上げたのか。おそらく本人は、「学問」と言うはずですが、松宮教授の言動を見れば、政府批判という点も少なからず入ってるはずです。
学問に政治を持ち込んでいた松宮教授が、日本学術会議の会員になれなかったことは自明の理ではないでしょうか。