ニューズウィーク日本版が国葬批判を展開です。。。VTR『3分なら理解できる』と呆れるほど稚拙なものでした。。。

国葬が実施される前は国葬について法的根拠がない等、国葬反対派は騒ぎ立てていました。そして国葬が無事終わり、大人しくなると思いましたが、今度は国葬の中身を批判し始めました。

ニューズウィーク日本版もそのようなマスコミの1つです。

ニューズウィーク日本版の国葬批判は、毎日新聞や東京新聞、そして朝日新聞とは違いまともなものかと思いましたが、読んでみると国葬反対の新聞社と大差がありませんでした。

示唆に富む指摘をニューズウィーク日本版には期待していたのですが、毎日新聞らのような低レベルなものに落ちてしまったのでしょうか。。。

国葬反対派、国葬が終わったら今度は国葬の中身の批判です。。。

国葬が行われている最中には、国葬反対派の品位の無い行為が注目集めました。その国葬反対派は『国葬中止』という目標を失い、大人しくなるものと思われました。

ですが、彼らは、今度は国葬の中身を批判し始めました。

ニューズウィーク日本版には次のように中身を批判する記事があります。

安倍元首相の国葬を行う建前の一つは、安倍元首相が民主的な選挙の過程で凶弾に倒れたということにあった。この民主主義の危機を国葬によって乗り越えるべきだというのだ。山上容疑者の動機から言ってもこの理屈が詭弁であるということは別記事でも述べているが、それでもこうした建前を取る以上、国葬イベントは民主国家の理念に適う内実を持つべきだっただろう。
中略
筆者は各国の国葬を「詳らかに」検討したわけではないが、せっかく日本は敗戦によって明治以降の権威主義体制と断絶したのだから、より市民的・民衆本位的な演出を取り入れることもできただろうと思う。しかし誰が企画したのかは分からないが、安倍元首相の国葬は、権威主義的な指導者に対するそれのカリカチュアのようにみえた。列席する男性たちが、民衆ではなく、高みにある故人の遺影と向き合い、その全人格を褒め称えるのだ。
引用元 「国葬」は露骨で危険な安倍崇拝の儀式だった

驚き呆れる批判理由が記されています。この記事の筆者の好みの言葉がなかったというだけで国葬の内容を批判しているのです。そして『権威主義的』とレッテルを貼っています。

ニューズウィーク日本版はこれまで示唆に富んだ指摘をしてきましたが、このような稚拙な理由を並べた記事を配信したのには驚きです。

更に稚拙な批判は続きます。

とりわけ筆者が閉口したのは、安倍氏の政治家としての歩みを振り返る、およそ8分の尺があるVTR映像だ。安倍元首相の生前の映像とともに、彼の政治家としての「業績」が振り返られるのだが、そこでは現在でもなお政治的には論争的な内容が、全て「業績」としてカウントされている。もちろん明白な失敗や問題発言は省かれており、あたかも安倍元首相は無謬の政治家と言わんばかりの編集だった。

しかも長い。特に緩急があるわけでもない映像を緩急がないメロディに乗せて8分間も流されて耐えられるのは、安倍晋三の余程のファンだけだろう。仮にあのVTRが3分に纏められていたとすれば、少なくとも演出としては理解できる。しかし8分という長さであの映像を編集したというところに、このイベントの「内輪向け」感が強く出ていると思うのだ。
引用元 「国葬」は露骨で危険な安倍崇拝の儀式だった

そもそも故人を偲ぶ場で、故人の失敗をわざわざVTRで流すわけがありません。そして『8分は長い』『3分なら理解できる』との主張は全く理解できません。それは筆者の集中力の問題なだけではないでしょうか。

国葬中止から国葬の中身批判に切り替えた国葬反対派ですが、その中身批判でも稚拙な薄い批判を繰り返すつもりなのでしょうか。

国葬反対派に弔意を求めようとは思いませんが、少なくとも、傾聴に値する批判をしてもらいたいと思います。

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