検察は読売新聞の問題提起に応じ、清廉潔白さを証明し、立ち直ってほしい
正義と真実の使徒である検察の信頼性が揺らいでいるのではないでしょうか。黒川検事長と新聞記者の賭け麻雀とリーク疑惑、広島地検での自殺者など、検察組織を揺るがす事件が相次いでいます。
そして、ついには読売新聞が異例の批判記事を書くまでになっています。
なぜ法の番人の検察官がメディアと賭け麻雀をするほどの親しい仲になる必要があったのか?
黒川検事長と産経新聞と朝日新聞の人間が賭け麻雀をしていた件ですが、このことは、いつの間にか黒川検事長の退職とマスコミの沈黙で終わってしまいました。マスコミはさらに退職の際の金額を騒ぎ立て、この問題の本質を歪めました。
では、公正であるべき検察とメディアの人間がこっそりと面談し、違法な賭け麻雀をしていたことが、このような結果でよいのでしょうか?
今回のことから分かることは検察とマスコミは、何らかの理由で親しくなる必要があるということです。これまでにも、検察の一部の人間がメディアに情報をリークしている兆候はたくさんありました。
カルロス・ゴーンの逮捕の際、朝日新聞が特ダネとして真っ先に報道したほか、マスコミの不断の捜査能力を超える報道が相次いでいます。検察が事前にメディアに情報をリークしていた可能性が感じられるのです。
つまり、検察がリークを行い、マスコミがそれで世論を作り、一気に立件するという流れです。検察側は世論の応援を得られますし、マスコミも特ダネを得られます。
このこと自体は事実であれば問題ないですし、むしろ国民には重要なことでしょう。しかし被疑者の時点でマスコミに犯罪者扱いされたらどうでしょう?これは非常に恐ろしいことではないでしょうか?
であるならば、この賭け麻雀会合はこのまま見過ごされてはならないでしょう。検察からしっかりとした説明と再発防止策が発表されるべきでしょう。また、河井案里議員の捜査担当検事が自ら命を絶っていたという衝撃の事件まで起きています。
ここは検察のトップである稲田検事総長が記者会見をして、信頼回復をしてほしい
ここは、ぜひ検事総長の自らの言葉で、説明されるべきではないでしょうか。
もし、賭け麻雀が黒川検事長個人の腐敗であり、自殺した検事の方も職場環境と死因が関係ない可能性もあるでしょう。しかし、そうであるならば、なおさら説明が必要なのではないでしょうか。
検察は正義を代表とする組織であるのならば、自浄作用による改革が望ましいのではないでしょうか。現在の検察のトップである稲田検事総長からの説明と改革案の提示が必要でしょう。マスコミのあやふやな伝聞報道ではなく、直接、トップ自ら国民に広く訴えるべきではないでしょうか。
読売新聞の報道にも反論すべき
さて、ここで最近の読売新聞の論説には、このように記載されています。
「この時期なら買収だろう」。検察のトップの検事総長、稲田伸夫の積極姿勢が捜査を後押しした。
「検察から現金を受領したと決めつけられた」。広島県議の渡辺典子(35)の弁護人は5月1日、最高検に文書で苦情を申し入れた。文書には「誤った『見立て』に固執し、自白を強要する不当な取り調べが行われた」との厳しい言葉が並ぶ。
20回の事情聴取を受けたという別の県議はこう訴えている。「『克行からもらったことにしてくれ』と言われた次の週には『案里からにしてくれ』に変わった」
捜査から起訴までを一手に担う検察の独自捜査は、常に「独善」に陥る危険をはらむ。
大阪地検特捜部による証拠改竄事件が発覚したのは、10年前の2010年。特捜検事が事件の筋書きに合わないデータを書き換えた前代未聞の不祥事だった。」
引用元 読売新聞6月22日
これがもし事実だとすれば検察の公平さの観点から問題でしょうし、読売新聞の誤報だとすれば、読売新聞の偏向報道となるので問題です。
国民が求めているのは、検察による正義の実現であり、独善ではないはずです。
もし、読売新聞の内容が嘘であるならば、検察は猛烈に抗議すべきでありますし、読売の謝罪も必要です。
しかし現状では、読売新聞に検察が抗議したとは聞きません。
ここは、稲田検事総長による、黒川氏問題、検事自殺問題、読売新聞の報道について、一括して記者会見による説明が、検察の信頼を回復する為に必要だと考えます。検察に必要なことは、「検察の威信」にかけて何かをすることではなく、国民への正確な説明だと思います。
確かに、河井議員の犯罪は事実である可能性が高そうです。しかし、だからといって、読売新聞記事の指摘する問題行為が許される訳ではありません。検察は正義と真実の使徒だからです。
もし読売新聞の報道が誤報ならば、悪質な捜査妨害で、堂々とメディアに抗議していただきたい。もうマスコミのリーク報道にはうんざりです。堂々と、直接、国民に説明すべきですし、今回の全体の事象の説明を検事総長から説明すべき時がきているのではないでしょうか。
そして、国民の信頼を取り戻し、検察にたちなおっていただきたいのです。
検察には、国民の大きな期待があるはずです。それは社会正義の実施。正義のための使徒。
弁護士にならず、検察官になった多くの人には、若い頃はそうした志があったはずです。
その初心を多くの検察官には忘れないでほしい。
腐ったメディアとの癒着など絶対にしないでほしいのです。