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川勝静岡県知事、反日韓国大使に滅茶苦茶な歴史観を披露。「藤原家の始祖は百済の王子」「韓国が持ち込んだ学問で武士道が確立」媚び諂うにも程がある

日本きっての親中政治家と言ったら、川勝平太静岡県知事というのは有名な話です。ネット上では、親中を通り越して媚中とまで言われています。

そんな川勝知事ですが、中国だけではなく、韓国に対しても、とんでもないごますりをしていました。

川勝知事、韓国大使を持ち上げる為、滅茶苦茶な歴史観を披露

川勝知事は、駐日韓国大使の李洙勲氏との会談で、「中臣鎌足は百済の王子豊璋だと思います」と、とんでもないことを口走っていました。

(前述略)百済の渡来人は律令制、都城制、国司の編纂など国造りの基礎を日本に伝えました。その中心人物は藤原不比等でした。

不比等の父の鎌足は出自が不明です。私は、百済最後の義慈王の子で、日本に人質として来ていた余豊璋が鎌足だと思います。百済は滅びましたが、奈良で復興したともいえます。

古代奈良の都づくりの恩人である百済の渡来人は静岡の船で来日しました。百済の故地・忠清南道と静岡県には歴史的縁があります。(以下略)

https://www.pref.shizuoka.jp/kikaku/ki-110/fujinokuni/documents/fuji31_02taidan.pdf

歴史上でも、大化の改新の中心人物だった中臣鎌足が百済王の子で、滅亡した百済が、奈良で復活したと言っています。

中臣鎌足は、藤原氏の祖、藤原鎌足と同一人物で、藤原氏は源氏・平氏・橘氏とともに「源平藤橘」(四姓)と総称され、その筆頭名門氏族です。

藤原氏は、後に皇室と姻戚関係を結んで摂関政治を行っています。もちろん朝廷とも深くかかわり、江戸時代には、大臣就任の資格を持つ上位公卿17家系のうち、14家系が藤原氏だったとも言います。

つまり、川勝氏は、百済王の血脈は日本の中心に存在し、国家を動かしてきたと言いたかったのでしょう。

そもそも、中臣鎌足は中臣氏の一族で、生年:推古22年(614年)、父御食子,母大伴夫人(智仙娘)の間に大和国高市郡藤原(奈良県橿原市)あるいは大原(奈良県明日香村)で生まれたとなっています。出自不明どころか、生まれた年も両親も出生地も判明しています。

もちろん、これは川勝知事が調べ上げたものではなく、作家の関裕二氏が唱える説です。

関氏の著書には「ヒミコは二人いた」「聖徳太子は蘇我入鹿である」といったものもあり、どんなものか想像はつくと思います。今でいう、都市伝説を真顔で語っているのと同じです。

関氏の言うことを信じたら、中大兄皇子と中臣鎌足に殺されたのは聖徳太子という事になります。そんな馬鹿な話はありません。

しかし、川勝知事は本気で信じ込み、その歴史観を語っているのです。静岡県のみなさん、心配になりませんか?

川勝知事のトンデモ論はまだまだ!「日本の武士道が確立したのは朝鮮学識者がもたらした学問のおかげ」

また、川勝知事のゴマすりはそれだけではありませんでした。

2012年10月、静岡県の発行する広報誌「ふじのくに」には、以下の発言が掲載されていました。

川勝知事「日本通の申大使から静岡県を的確に評価していただき、ありがたく存じます。

(中略)

徳川家康は朱子学を官学と定め、林羅山を大学頭に任命しました。林羅山の師である藤原惺窩は禅宗の僧侶でしたが、朝鮮から被虜人として、連れてこられた朝鮮王朝の儒学者・姜沆に接して朱子学に目覚め、袈裟を脱ぎ捨てて朱子学者へ転向しました。

徳川政権下で林羅山の時代がやってきて、被虜人にされた朝鮮学識者がもたらした学問が日本の学問になり、武士道が確立するという革命的大転換をもたらしたと思います。」

(中略)

川勝知事「とくに世宗という都市名に感心しています。ハングルを創った世宗大王から採ったお名前ですね。世宗大王は、中国の漢字文化からの自立脱却を果たされた英明な指導者であり、新しい時代を象徴するような存在です。

日本で世宗大王に匹敵する象徴的存在は何かといえば、人物でいえば聖徳太子、自然でいえば富士山でしょう。私は、韓国における世宗大王に匹敵するのは富士山であると考えています。」

引用元 地域間交流を広げ、一層近くて近い隣国に!

日本の武士道が確立したのは、朝鮮学識者がもたらした学問のおかげだそうです。

川勝理事は、こんな事も言っています。

川勝知事 日本は、朝鮮に武力で侵攻し、そこで出合った朝鮮の文化に兜(かぶと)を脱ぎました。

日本に朱子学をもたらしたのは捕虜の姜沆です。朝鮮の偉大な朱子学者・李退渓の弟子筋です。彼は藤原惺窩に朱子学を教え、惺窩の弟子の林羅山が家康の学問と外交の顧問になりました。

https://www.pref.shizuoka.jp/kikaku/ki-110/fujinokuni/documents/fuji31_02taidan.pdf

確かに、将軍家康は、道徳的学問を学ばせるために儒学を取り入れました。朱子学です。しかし、朱子学は中国・南宋の時代に朱熹 (しゅき) がまとめあげた儒学の一派で、日本に伝来されたのは鎌倉時代で、真言宗の僧俊芿が持ち帰って伝えられています。鎌倉時代後期までには、五山を中心として学僧等の基礎教養として広まりました。

朱子学は、姜沆のみがもたらしたものではありません。江戸時代でもありません。

そして、武士道と朱子学はほとんど無関係です。

これくらいは、少し調べればわかることです。

また、「世宗大王に匹敵する象徴的存在は何かといえば、人物でいえば聖徳太子、自然でいえば富士山」と言っていますが、川勝知事が崇拝する関氏曰く、「聖徳太子=蘇我入鹿」なので、聖徳太子は、私利私欲のために悪逆を尽くした人ということになりますが、大丈夫なのでしょうか?

因みに世宗大王は、応永の外寇で対馬に攻め入り、虐殺を企てた張本人です。また、「仏教に対しては廃仏政策をおこなった。世宗は仏教の宗派を禅教の2宗派に統合し、18ヶ寺を除いてすべて破却するなどした。高麗時代まで国家の保護を受けて繁栄していた仏教勢力はこの時期に著しく衰退し、山間などで細々と続くのみとなった」とあり、仏教弾圧を行なった人物だということで有名です。

もはや川勝知事の媚中媚韓は重症です。

反日大使に媚び諂う川勝知事

しかも、媚び諂っている申珏秀氏は、とんでもない反日大使でした。

申氏をWikipediaで調べたら以下の記述がありました。

・2013年3月11日、日本政府が開催した東日本大震災2周年追悼式の案内状に対して「欠席」で返信をした。3月12日、韓国大使館は欠席理由を『案内状がファクシミリで送られてきたため、誤って破棄した結果、出欠の返答をできなかった。』と釈明した。

・2013年5月15日、記者会見を開いて、航空自衛隊松島基地を激励に訪れ、ブルーインパルスに乗り込むパフォーマンスを行った安倍首相を批判した。安倍総理大臣の試乗した練習機の機体に「731」の番号が書かれていたことが731部隊を連想させると述べ、侵略の加害者である日本側はこうした点でも「気配り」をしなければならないと語った。

・2013年5月16日、韓国の中央日報とのインタビューで、麻生太郎副総理大臣を「日本は近代化の過程で、アジアから抜け出して西欧化するといういわゆる脱亜入欧の精神があったし、まだ残っている。自分たちが唯一文明世界に属した国だったとしてアジアを見下す認識がある。

申珏秀Wikipediaより抜粋

欠席で返信したのに返答をできなかったとは???何の冗談でしょう?おそらく誤魔化すために嘘をついているのでしょうが、他の二つも日本への文句ばかり。

こんな人物に川勝知事は媚び諂っているのです。

静岡県のみなさんに今一度お尋ねしたい。これでいいのでしょうか?

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